影時間前。真田の部屋に響くノック。
机に向かっていた真田は手を止めて顔を上げる。

「どうぞ」
開いたドアの向こうには小さなシルエット。
「…天田か。…一体どうした?…」
「ちょっと、話したいことがあったものですから…。いいですか?」

ちらりとベッドを見て問いかける天田に、真田はベッドを指し示す。天田は小さく 笑って後ろ手にドアを閉じる。足音を立てない歩き方で真田の前に立つ。

「どうしようかずっと迷っていたんですけど、やっぱり、言うことにしますね」
ふわりと微笑む。
「……僕、知ってるんです」
頬に残っていた笑みの形が深くなる。その暗い笑みに真田は眉を顰める。

「2年前の、事。ですよ」

噛んで含めるような言い方。およそ子供らしさからかけ離れた話し方で、ひたりと目を見据えて言う。
その冷たさと、言葉の意味に真田の表情が凍りつく。

「荒垣さんが、母の仇だったんですよね。……ね、なんで話してくれなかったんですか?」
天田が一歩近づく。
「そ……れは、あれは、どうしようもなかっ」
「僕、ずっと考えてたんです」話す真田を遮る。
口を閉ざす真田に、もう一歩、近づく。
「母さんの仇に出会ったら、どうするか、ずっと考えて生きてきたんです」
「天田!」
悲鳴に似た真田の静止を聞かず、襟首を掴んで顔を近づける。

「そいつの、一番大切なものを奪ってやればいいと思いませんか」
「なにを……するつもりだ」
血の気の引いた顔で、それでも真田は問いかける。天田は人懐こく、にこりと笑う。

「これから、僕のこと乾って呼んで下さい。僕もアキって呼びますから」
「な…?」
「みんなの前でもアキって呼びましょうか?それは恥ずかしいかな?」
「天田!」
乾いた音を立てて、真田の頬を張る。

「人の話、聞いてます?アキって年上なのに、そういう所、なってないね」
「……はっ……」
「アイツは、僕の一番大切な人を奪った。だから、今度は僕がアイツに痛みを解らせてやる。
僕が、アイツから全部奪い取る。今、一番の居場所は貴方の隣でしょう?だから、そこは僕が 貰う」貴方に拒否権なんかないよ、と刃で傷つける鋭さで呟く。

「そんなことしても、何も生まないぞ」肘掛をきつく掴んで真田が顔を上げる。天田は歪んだ 微笑を見せて、顔を近づける。
「ね、僕の誕生日って、10月5日なんですよ」
「!」
「あの時、日付が変わったら、二人でロウソクを吹き消すはずだった。母さんの作ってくれた ケーキを一緒に食べるはずだったんだ!」

真田の身体から力が抜け、腕が落ちる。喉の奥からかすれた吐息が漏れる。
自らが昔受けた家族の喪失を目の前に突きつけられて、目の前が暗くなる。

天田は、抵抗を忘れた真田の手を引く。
「ね、アキ、立ちっぱなしは疲れたな。ベッドに座って話しましょう」
「あ……」

導かれるまま、真田はベッドに上がる。胸を強く押されて倒れこみ、シャツを捲り上げられて身を竦める。
「なにを……!」
「さっき言ったでしょ。全部奪うって。復讐の始まりに、アキを、僕が貰うんだよ」
天田を全力で押しのけることも出来ず、混乱している真田に小さく笑って天田は手を伸ばす。
急所をきつく掴む。
「い……っ!」
「ごめんね?アキが抵抗するから。おとなしくして、僕もまだ上手じゃないと思うから… 今日はアキも手伝ってね。いいでしょう?」

「いや…だ」
「さっき拒否権なんかないって言ったでしょう?言うことを聞いて。……僕、アキのことは結構好きなんだ」
「なんで…こん…な…」
抵抗らしい抵抗も出来ずになすがままになっている真田を見下ろして、天田は唇を歪める。
「だって、してるんでしょう。こういうこと」

天田の指先がやわらかく絡みつく。
「……っぁあ…!」
堪えきれず、声が漏れた。
「なんだ、嫌じゃないんだ?」
天田の喉がくく、と嘲りの音を立てる。
それを聞いて、真田はふるりと身体を震わせる。頬に血が上るのが自分でも解る。
「アイツとは、ずっとこんなことしてたの?僕くらいの年から?それとも最近?」
天田は真田に馬乗りになってかがみこむ。
顔をそむけるのを許さず、顎を捕らえる。

目が合って、真田は眉を寄せる。天田の眼の中、憎悪と孤独が混ざり合って、妹を失ったときの 自分を思い出させる。
あのとき、自分にはシンジが居た。だから、絶望の中でも立ち上がることが出来た。だが、

「僕には、誰も居なかったよ」
思考を読んだ様に天田が呟く。
「傍に居て慰めてくれる人も何も居なかった。お金だけ出してくれる親戚が居ただけ。でも、 アイツは自分のしたことから逃げて、ふらふらして、心配してもらって…。このまま忘れるなんて 許さない。自分のしたことを背負うべきだ」
燃える様な告白を泣きそうに顔をゆがめて聞く。
「違う、シンジは、あの出来事を忘れたりなんかしない」
どれだけ悔いているか、どれだけ罪に囚われているか、自分の足りない言葉では天田を納得させら れないのが最初から解っていて、歯がゆくて堪らない。
「なら、アイツの変わりに、責任とってよ」
天田の声に顔を上げた真田に、つまらない冗談を言うように冷め切った表情で言う
。 「僕を一番にして。アイツよりも誰よりも。僕を大切にして言うことを聞いて」
斜に構えた態度の影に、真田は隠された本音を見つける。

「…わかった。……お前の言うことを聞く。だから…、復讐なんて、止めてくれ」
真田なりに天田のことを考えて言った言葉だが、どう受け取られるかまでは考えても居ない。天田の 目の奥に怒りに似た光が瞬く。
手が伸びて、真田自身に絡みつく。
「…!な」掴まれて、身体が竦む。
「そんなに、アイツが心配なんですか。…いいですよ。たった今から、あなたは僕のものだ」
ゆるゆると指先が動き出す。他人の手から呼び起こされる感覚に真田は混乱する。
「や、やめ」
「今、言うことを聞くって言ったばかりでしょ?」
「!」
先端に爪を立てるようにされて、息を詰める。

まさか、他人に触れられた事がないとは、今更信じてはくれないだろう。
そう思えるほどに自身は天田の手の中で反応を返す。
「好きなんですか?こういうこと」
あきれたような言葉にも身体は反応する。
口を開けば嬌声が零れてしまいそうで、唇を強く噛んでひたすら耐える。
天田が手を動かすと湿った音がする。口を閉じて目を瞑ってもその音は鮮明に聞こえて、羞恥心をあおる。
身体は些細な動きにも反応するのに、心が冷えてゆく。
「……っ。はっ…ん……」
少しづつ声が漏れるのに気が付きながらも、止められない。
薄く目を開けると、天田が痛みをこらえるように眉を寄せている。

真田は、天田に手を伸ばそうとして、思いとどまる。
たぶん、自分の気持ちは伝わらない。
そもそも、自身でも今の自分を明文化することが出来ない。それなのに天田に理解してもらうほうが 無理だということはわかっている。

真田が言葉に出来ない思いを、何も言わなくても汲み取ってくれた男はここには居ない。

その名前を呼びたくても、白く塗りつぶされる意識では不可能だった。


イズミ061015


モドル