何も無い部屋は夜に沈むように沈黙する。
沈黙を破るのはいつだって一人。

ノックも無くドアが開き、人影が滑り込む。
「寒いな」 明彦がベッドの中に潜り込んでくる。
「狭い、どけ」
邪険にされても気にしない。
「気にするな」
「お前、足先が冷てぇンだよ」
「……すぐに温まるさ」
目を伏せて、足を絡ませてくる。
腕を伸ばして抱き込んでやると、それでようやく安心したように小さく息をつく。
「何かあったのか」
問いかけても応えは無い。
無理に聞き出すほどのことも無いかと、そのまま無言で眠りにつこうとする。
鼻先にある短い髪が小さく震える。パジャマ代わりのTシャツが強く掴まれる。
何か話しだすかと暫く待ってみたが、話す気配はない。
ふと、眉尻に貼られているテープに目が留まった。
指を伸ばして、素早く剥ぎ取る。
驚いて顔を上げたのを逃さず、顎に手を回して額に口付ける。
隠されていた傷跡に舌を這わせると、怯えたように身体を竦ませた。

小さな傷跡。 もう、とうの昔に癒えている傷は、引き攣れたような痕跡だけを残している。
舌先に唾液を乗せて何度も傷跡を舐める。
Tシャツを掴んでいた指先が解かれ、背中に回る。
竦んだ体から力が抜けるのを待って、目蓋に口付けを落とす。

「もう、隠さなくてもいいだろう」

周囲には「勝利のジンクス」だと嘯いて貼られたテープ。
隠された子供の頃の火傷の跡。
大人たちに取り押さえられながらも妹を助けようともがく明彦に、爆ぜた火の粉が降りかかった。その傷跡。

脳裏をよぎる記憶。
記憶に触発されたように胸がつまり、息が絡む。
「シンジ?シンジ!」
喉の奥、湿ったような嫌な咳が続けざまに出る。
明彦の悲鳴に似た声。薄闇の中でも顔色が変わったと判る。
縋り付くように頭をかき抱き、背中を丸める。 ただの咳だ、と言って安心させてやりたいが、しつこく絡みつく咳は止まる気配も見せない。 明彦は喉を押しつぶすような小さな声で名前をひたすら繰り返す。

シンジ、シンジ、シンジ、シンジ。

迷子になった子供のような、頼りない声に胸が痛む。
どうしていいのかわからないのか、伸ばした腕で必死に背中を撫で擦る。
痛いほど力の篭った腕のお陰か、ようやく咳から開放され、溜息をつく。
「アキ……もう大丈夫だ。放せ。背中痛ぇよ」
掠れ気味の声を精一杯出して、普段通りを装う。
「す、すまない……。大丈夫、なのか」
本当に、という言葉を飲み込んだんだろう。物言いたげな瞳が揺れる。 腕を退けて上体を起こし、半分ずり落ちた掛け布団を直す。端に座り込んでいる明彦を視線で促して、もう一度ベッドに潜り込む。
「身体が、冷たくなってる」
独り言のように呟いて、明彦は抱きつく。好きなようにさせていると、ぽつぽつと子供のように語りだす。
「冷たいのは嫌なんだ。熱いのは生きているだろう。でも、だから、冷たいのは……嫌だ」
肩を背中を腕を、力を込めて、体温がうつるようにと、撫で擦る。

今、強烈に、死にたくないと思った。

こんな子供のようなアキを置いて、天田にも何も返してやることができずに死ぬのは嫌だ。
何か一つ残したい。
すべてを助けることは望んじゃいない。たった一つ、何かでいい。
全力で明彦を抱きしめる。俺の力はまだ衰えちゃいない。かなり苦しいはずだが、明彦も強く抱き返してくる。

強く強く、抱きしめあう。

明彦は薬のことも体調のことも何一つ聞かない。
顔に残る火傷の傷跡のように、誰にも何も言わないで抱え込んでいる。
多分、そう遠くない俺の死は、明彦のもう一つの傷跡になる。

「……っと……」
聞き逃しそうな小さな声がする。
「もっとだ…。……シンジ、もっと…」
声に誘われるように、さらに力を込める。
この夜の静けさを破るだけでも罪だというように、静かに強く抱きしめあう。

この身体の熱が、少しでも傷を溶かしてくれるようにと願いながら。


イズミ061004
(fes発売前に書いたものなので傷跡があることに……なってます……)


モドル