この頃、順平はすこぶる機嫌が悪かった。 機嫌が悪いのを周囲に悟られない様にして失敗し、心配されて取り繕い、そしてそんな自分に対して機嫌が悪くなるという、典型的な不機嫌スパイラルにどっぷりと落ち込んで、初夏の輝くような日差しの中、悶々と過ごしていた。 (あいつだ。あいつが悪い。あの一年坊主のせいで俺は…!ぉおぉおお!) 眉間にマッチ棒が挟めそうなほど深いシワを刻んで考えるのは、原因たる男の事。 苛立ちにも落ち込みにも勝って残る感情は、やっぱり人間だもの。嫉妬である。 二週間ほど前、順平は、一気呵成の押せ押せムード(順平談)で、片思いの先輩(拳闘部主将)を口説き落とすことに成功した。それはもう「同性だけにどうせいっちゅーんじゃー」 などという冷気系全体魔法のようなギャグを同級生に漏らしてしまう程の一世一代の頑張りだったのだが、長くなるので割愛である。 だがしかし、そんな風に頑張って口説き落とした恋人だったが、オツキアイが始まってからも普段と変わりなかった。 朝>ロードワークから朝練。 昼>自分のクラスで食事 夕>部活、あるいはふらっとどこか (行先不明) 夜>牛丼をラウンジで皆と一緒に食べ、自室に。(施錠済。合鍵無し) これをルーチンワークの如く繰り返す。良くて影時間にタルタロスに行くか行かないか、ラウンジでグラブの手入れをするかどうかの差だけである。 (…真田サン、ホントに俺ン事、好きなのかな…) 一度は自分からキスをした。(唇に) 一度だけだが相手からもキスしてもらった。(額というか、眉毛の上だった) (コーコーセーだったら!もっとこう!青春のイキオイがあってもいーんじゃねーの!) イキオイだけで生きてゆきたい伊織順平高校2年生。ここ数日の日課になった溜息をつこうと して、我慢した。本日最後の授業中である。ちなみに残り5分。 うずうずと貧乏ゆすりを堪え切れずにいたが、そこはご愛嬌。チャイムと同時に机の上の教科書を鞄に放り込み、席を立つ。力を込めて振り向けば、「早く行って来い」と犬を追いやる仕草の悪友。「ちょっと順平掃除していきなさいよ!」と女子からの応援を背中で受けて、テレッ テと走り出す。勿論目指すは3年生の教室。階段を降り、廊下を曲がり、渡り廊下を渡って階段を駆け上る。今日こそは、今日こそは、先に捕まえないと! すでに下校が始まっている教室へと、飛び込みそうになったその目に映ったものは。 「じゃ、真田先輩、今日はスポーツバイヤーで僕のグラブ見立ててくださいねっ!」 はしゃぐ少年の声と、 「ああ、わかった」と あっさり了解している声。 冒頭の『一年坊主』の登場である。『スポーツバイヤー』はスポーツ用品専門店。月高からだとモノレールと電車を乗り継ぎ仲伊原下車。片道35分。半端に遠い。 「仲伊原の店まで行くなら、晩御飯食べて帰りませんか?僕の家、親の帰りが遅いんで、一人で夕飯ってつまらなくて…」 「いいぞ、そのくらい」 さらにコンボで倍率ドン。ダメージ10倍。 「伊織じゃん、どうしたんだ、お前」 順平と顔見知りの3年生が声をかけるも、燃え尽きた感あふれる順平は、生返事しか返せない。 そんな順平を見て「おい真田ー。伊織来てっけどー?」3年生は気を使ってくれた。 「なんだ、どうした?」 「あ、えーと、ちょっと一緒に帰りたかったなぁと、思ったんスけど」 やっとの体でそれだけ言うと、 「真田先輩っ。僕のことなら、お構いなく、…僕、一人でも大丈夫ですから…」 ちょっと寂しげににっこり笑って一年生は会話に割り込む。 ちなみに順平、この一年生の名前を知らない。正確には知りたくないので記憶しない。 中等部からの持ち上がり組で、「真田先輩のファン」を公言して憚らない、ボクシング部のホープである。 この少年のお陰で数少ない恋人との時間も消えうせ、順平は機嫌が悪いのであった。 「いや、コイツとは約束していたわけじゃない。お前との約束が先だ」 明彦は、案の定後輩を優先させている。この場合は当たり前かもしれないが。 「お前、真田先輩と先に約束したんだろウ?俺は、全然構わないゼー」 後輩を前にして駄々をこねるなんてかっこ悪いところは見せられない。 ちょっと語尾が硬いのは仕方がないとして、潔く今日は譲る。 今日も、譲る。 これで部活休みの日、譲り続けて6回目。 神様。俺は何を悪い事したんでしょうか。 順平の心理は、ずれた帽子の鍔に如実にあわられていた。 だが、まぁ、目の前の綺麗な人は相変わらず背筋を真っ直ぐ伸ばしたままで、ちらりとも振り返らずに颯爽と教室から消える。そそくさと追いかける一年生。 「……。あ、はは、は……。」 順平はくたりと机になつく。一部始終を見ていた顔見知りの男がふむふむと一人頷く。 「変わったよなぁ」 「は?」 「真田だよ。あいつ、自分に付きまとってくる人間に付き合ってやるタイプじゃないからさ。 …やっぱ巌戸台の寮に後輩が増えたのが良かったのかなぁ。お前たちのお陰かもよ」 気を落とすなよ、とキャップの鍔を後ろに回される。 「……そうなんスかねェ……」 広くなった視界に顔をしかめつつ、ぼやく。複雑な気分だ。 (他の誰にも優しくなんてしなくていいのに) 俺だけに優しければ良くね?と考えてその思考のダメっぷりに撃沈する。それじゃダメだ。 「うあーっ」頭をぐしゃぐしゃにかき回して顔を上げる。左の肩にかろうじて引っかかっている 鞄を思い出して、こっそりペンを取る。腕で隠しながら机の隅に小さくラクガキ。 「真田明彦、予約済」 ペンを乱暴に鞄にしまうと、ちょっと涙目の順平は、「どもっ」と、教室を後にした。 いつも以上に足取りも重く、寮の玄関を開ける。無人のラウンジは明かりも点いておらず、 余計に寂しさを募らせる。 自室向かいのドアがいやでも目に入る。プレートには「真田」。見たくないのに顔を背けられず、ドアを見ては、溜息。恋愛に悩んだ男は意外と乙女チックになるものかもしれない。 思い出すのは、告白にOKを貰ったときのこと。 「本当にいいんですか。良いって言ってくれるなら、俺、ずっと一緒にいます」 「四六時中は無理だろ、幾らなんでも」 「俺、ずっと傍に居たいんです。…真田せ…真田サンの」 「――わかった」 「ね、次の日曜、俺とデートしてください」 「デート?なにするんだ」 「一緒にメシ食って、映画見て、買い物とかして、二人で帰りましょう。どうすか」 「……次、は予定があるが…、わかった。近い内に」 「まじすか!約束ですよ!」 ああああの時はよかったなぁ。なんて後ろ向き思考にはまる順平。 自室のベッドにダイブしつつ、転がる。 うだうだごろごろしているうちに、気がつけば、 睡魔に襲われていた。 小さく電子音が鳴る。途切れて、もう一度同じ電子音。この着メロは。 上半身をずり落としながら鞄を掴み、携帯を取り出す。液晶には「真田 明彦」 大慌てで通話ボタンを押す。 「も、もしもし?真田サン?」 「なんだ、寝てたのか?」 人が気付いて欲しくないところにはなぜか目ざとく、的確に突っ込まれる。 くっと返事に窮したところで涼しげな声。 「今からはがくれにこい」 「…今からッすか?」 「そうだ。財布もって走って来い。」プツリ、ツーツーツー。 しばし呆然とする順平。しかしながら惚れた弱みか、つい財布を握り締めて上着だけ脱いで寮を飛び出す。これで着いた先に「財布忘れた」とかだったらどうしよう。 そのときは怒っていいのかな。とにかくそんなことを考えながら、はがくれに急ぐ。 音を立てて引き戸を明けると、景気の良い店員の声。ぐるりと見回すと奥の席に目指す人。 すでに注文していたらしく、目の前のどんぶりをなにやら真剣につついている。 近づくとどうやら一人のよう。おずおずと声をかける。 「アノ、真田サン。…来ましたけど」 「へい、特製ラーメンお待たせしましたっ。ご注文以上で宜しいすかっ」 順平が後ろからにゅっと出てきたラーメンに戸惑っていると、やっとどんぶりから顔を上げ、 座れとあごをしゃくる。おとなしく座ると、目の前にずいっと今までつついていたどんぶりが迫る。 「…え?」 「こっちが、お前のだ。このしょうゆは俺のおごり。お前は俺におごれ」 わけもわからず受け取る順平。目の前の男はなにやら上機嫌で、来たばかりのラーメンを美味しそうにすする。 「真田サン、晩メシ食ったんじゃないですか」耐え切れずに問うと 「まあな。でも今日は昼あんまり食べてないんだ」だから大丈夫、と普通に返す。 「あの…一年は、いいんすか」 「?用事は全部すんだぞ。あいつ、俺と同じウェアが欲しいとか言うから、延々と買い物に付き合わされた」 今日で全部揃ったんだと鼻息も荒く。買い物に付き合うのはかなり面倒だったらしく、晴れ晴れとした笑顔を見せる。 「今日は映画は見て帰れないけどな」 あっさりと一言付け加える。順平の箸からチャーシューが落ちた。 「え?え、もしかして」頭が働かない。 「俺は約束を破らない」 「え、じゃぁ、これって、え」デートのつもり? なんか俺、この人を好きになってから頭が悪くなってるな。 ふふんと不敵に笑いながら、目の前でラーメン食う人に、のーみそ持ってかれてる感じ。 「えーと、じゃぁ、じゃあ一緒に帰りましょうか。二人で」 照れながら順平は声をかける。テーブルの下、足をそっと伸ばしてつま先を触れ合わせる。 「ああ、別にいいぞ…悪い、足踏んだ」 意図は全く通じず、ひょいと足をどけられる。 「え、いや、踏んでないすよ、えーと」 思わず説明しようとして、あまりの間抜けさに、つい笑う。 この人と俺は、なんかずれてんのかなぁ。 それも楽しくていいや、と思ってしまう辺りが、恋は盲目だ。 「…やっぱいいや、へへ、手ェ繋いで帰りましょうか?」 思い切り冗談ぽく笑って言う。誰に聞かれても平気なように。 「高校生の付き合いには節度が必要なんだぞ」 至極真面目に返されるのも、へっちゃら。 「へへ、わかってますよ!んじゃ、帰りましょッ」 元気良く席を立つ。 「ねーねー、これでしょ、ラーメンの油つなげると恋愛運上がるってジンクス!」 カウンターに座るカップルが、なんだかやたらとはしゃいでいる。 順平はそれには気付かず、嬉しそうに店を出る。 外は星空、隣には恋人。軽くステップを踏む順平に恋人は溜息。 「お前は予測不可能な動きをするな…」 「俺からすれば、真田サンのほうが予測不可能ですよ」 期待せずに伸ばした手を、思いがけず握られる。 幸せの絶頂にいる順平は、翌日の昼休み、机一杯に 「売約済」 と書かれて困るわけだが、それはまた、別の話。 歩調の合わない二人、それでも、踊るように恋をして行く。 イズミ060910 |