かすかな音を立ててドアが開く。 出立前の慌しさと共に、良く知った足音が部屋に流れこんでくる。 「ヴィラル?」 声をかけるよりも早く、背を向けて床に座り込んだオレから問われ、ヴィラルはちいさく歯を鳴らす。 「入って来いよ、いま息抜きに発掘映像見てるとこー」 耳障りな音を気にせずに言いながら、振り返らず、右手だけで誘う。 ヴィラルは警戒するように後2歩の距離を置いて後ろに立つ。 「どうしてわかった、シモン」 ヴィラルの硬い声が可笑しくて、背中を震わせてかすかに笑う。 「俺、お前のことなら結構分かるんだ。オトコの勘?」 くつくつと喉の奥を震わせて笑うと、軽く舌打ちする。 「馬鹿にしているのか」 苛ついた態度を隠さないまま、残りの距離を詰めて、背中から手元にあるディスプレイを覗き込む。 ひらり、とやわらかな色彩がひるがえる。 入れ替わるように笑顔と、また、ひるがえる色彩。 人間が、笑う。笑う。笑う。 「なんだ、これは」 粒子が荒く、どこかくすんだ様な画像に眉を顰める。 こいつには何が楽しいのかわからないか。画面から眼を離さずに生返事を返す。 おい、と手の甲で軽く後頭部を叩かれ、視線をヴィラルに向けた。 「あー……。ロンさんが見っけてきた。大昔の踊りの選手権?とかって」 決戦を前に、煮詰まりすぎだとロンさんが発見された前文明時代の映像チップを何枚か渡してきたのだ。張り詰めすぎてはいけないから、気を紛らわせろ、と。 「なんかさ、面白いな。何年前かも分からないこんな時代から、男と女がいるんだもんなー」 片耳にかけていたイヤホンを外してプレイヤーを操作する。 軽やかな音楽が聞こえてくる。 黒い服を着た男が女の手を引くように回り、女は服の裾を翻して笑う。 幾人もの男女が音楽にあわせて回り続ける。 「ずーっと、ずーっと男と女がいて、子供作って。教えられたわけでもないのに、そんなふうに繰り返してるんだもんな」 ふるり、と身体を震わせたのも気付かぬ様子で、ヴィラルは目の前の映像を食い入るように見つめた。 見たことのない服。見たことのない建物。聴いたことのない音楽。 眩暈を起こす一歩手前のような、不思議な感覚。 取り込まれてしまったように、中途半端な姿勢のまま見入るヴィラル。思い立ってヤツの二の腕を取り、強引に立ち上がる。 「よしっ!」 「な?」 慌てるヴィラルが自分を振り向いたのに気分が高ぶる。今のオレは満足げな笑みでも浮かべているのだろう。プレイヤーを足先で蹴るように操作して、音量を上げる。 「覚えたか?覚えたよな?」 二、三度つま先でリズムを取って、そのまま、強引に振り回すようなターンを決める。 「なにをする!シモン、手を離せ!」 うろたえて手を振り解こうとするヴィラルなど気にしない。何度も足を踏みそうになりながらも、鼻歌交じりでステップを止めない。 「あ〜。あれ?もしかして、ヴィラル、踊れないのか?アレだけ映像見たのに」 揶揄するように言えば、ヴィラルは簡単に挑発に乗る。 「何を言ってる!こんな簡単な動きぐらい、出来ないわけないだろう!」 強引に足を踏み込むオレのステップに負けじと、ぐっと体重を移動させ、軽やかなターンを決める。手入れされていない金の髪が、オレの視界を染め上げる。 「ま、やっとやる気になってきたのか」 ヴィラルの両手首を掴んでいた手をずらして、笑う。 手を繋ぐように結び合わせて、かかとを使った小さな円を描く。 ぞう、とヴィラルのうなじが逆立つ。 違和感が圧倒的な力でヴィラルを襲う。 部屋の中央で変わらず映し出される映像。 踊る男女。 踊る人間。 そこには、一人として獣人はおらず。 (あたりまえだ、まだ獣人は存在すらしていない!) 反射的にシモンの手を払いのけようとして、バランスを崩しそうになる。 開いた獣の手を、離れる寸前でシモンは強く掴む。 「なっ……にすんだよ。あぶないなぁっ」 手を掴んだオレに力任せに引き寄せられたせいで、ヴィラルは凭れる様に身体を預け、そのまま浅く忙しない呼吸を繰り返す。 「……どうかしたか?」 顔を覗き込むように首を傾げてみても返事を上手く返せないのか、唇の端を噛む。 何か、どうせろくでもないことでも考えたんだろう。ヴィラルは基本的に生真面目なタチで、誰かに属していることが本来の性だ。しかし、ロージェノムがいない今、些細なことで不安定になるときがある。 だから、わざと、繋いだ両手は解かない。 人間よりも優れよと造られた獣人なら、手に流れる血液が体温が、強く感じられる筈。 その温度は同じ力でもってその身体に流れてる。 でもそれでも。 不安なら。 「しけてんなぁ」 わざと明るく笑って、意識を向けさせる。 ぱちんと物思いから我に返る。 「踊るぞぅっ」 笑いながら、もう一度手を強く握り、リズムもステップも無視したまま、ぐるぐると回りだす。ヴィラルが抗議しようと口を開く瞬間を先読みして、一歩踏み込んで、唇を触れさせる。 「な、……!何を、する!」 顔を赤くして怒りながらも、律儀にステップを踏もうと努力するヴィラルに対して、オレは笑いが止まらない。 笑いながら、揺れてそよぐ金色の毛先を見つめる。 「俺は、螺旋の先へ行くよ」 唇だけを震わせる声にも、ヴィラルは目を見開く。 大きな獣の手を、指を一杯に開いて握りなおす。 この手、本気を出せば人間の頭くらい潰してしまいそうな力強い、この手が。 本当は弱いものだと知っている。 「だから、お前は、オレを」 強く強く、見つめる。 「オレは全てを手に入れる。だから、お前は」 硬く強張っていた獣の手から、ようやく力が抜けてくる。 忙しなく瞬きを繰り返す金色の目が、オレを判じようと瞳孔を絞る。 ぎりぎりまで顔を寄せて、囁くように告げた言葉。 支配者の言葉に、逆らうことなど出来ないこいつは。 「このオレを、一瞬たりとも。」 命令されて、安定する。 「忘れるな」 イズミ080528 |